3月18日日曜日
妻木靖延と行く「ここが見どころ!古建築」セミナーに参加してきました。
趣味で参加している ヒッポファミリークラブで来月「日本を知ろう!遠足」を行うため、
その下見も兼ねて、参加してきました。
雨の降る中、近鉄奈良駅での集合でした。
第7回目で、参加している方は、皆さん常連さんです。
建築とは関係なく、歴史や、日本の文化や、そういうものを好きな方々が参加されていました。
今回は、「鎌倉和様・大仏様の建築」がテーマとなっていました。
午後からの参加だったので、午前の興福寺には参加できなかったのですが、
東大寺にがっつりと参加してきました。
まず南大門。
これは、鎌倉時代に重源が再建したものです。
重源は、宋に渡り中国説浙江省付近で行われていた建築様式を輸入し、
それに重源のアレンジを加え、大仏様を作り出したようです。
しかし、奈良という古都の職人はプライドが高く、
重源の考えた通りにはいかなかったようです。
次に、大仏殿。
これは、江戸時代に再建されてたものです。
聖武天皇の時に創建され、治承の兵火(1180年)にて焼失。
鎌倉時代に重源が再建。
再建は、すぐには行えなかったようです。
藤原氏が興福寺の檀家であったため、周辺の木材は、藤原氏に押さえられていて、
まず、材料を仕入れるところから苦労したとか。
創建当時は、和様、再建では大仏様でしたが、
またまた戦国時代に三好松永の乱による兵火で焼失(;゚д゚)ェ. . . . . . .
それからしばらく再建されず、
実は、大仏さんは、屋根もなく雨風にさらされていたそうです。
100年以上経って、江戸時代、現在の大仏殿ができたとか。
天平時代、鎌倉時代の大仏殿に比べると、
費用的なものから、2/3ほどの大きさに。。。
とはいえ、それでも、世界最大の木造建築なんですけどね。
意外と知らない人が多いのですが、
このように、大仏さまのお顔が見えるように、前の扉が開くんです。
年に一度、大晦日から新年に変わるときに開きます。
この灯篭は創建当時のもの。
ただ、南東(なんとう)部分だけ盗難(とうなん)にあって、作り直されたようです。
洒落のきいた泥棒さん!?
創建当時は、こんな感じで、大仏殿の両サイドに7重の塔があったのだそう。
今は、東側の塔の跡に、宝輪だけが建っています。
長くなってしまうので、続きは、次回ということで。